2012年10月31日水曜日

オレは負けない





宇宙は137億年の歴史があり、そこには奇跡と神秘と愛と魂があり自由があるはずなのに、この世の中はとても生きていくのが大変だ。
悲しい顔は見たくないから、人の前では悲しい顔はしない。
心から笑えるように、オレは強くなきゃいけない。
これで終わりでないから辛いのは今だけ。
オレは負けない。
不自由なこの世界でも自由な意思。心。魂。
その心を自由や幸せにするのは自分次第。
オレは宇宙を疑わない。運命を疑わない。
このまま耐えて一歩ずつ進めばいつか大切な人達を幸せにできるはず。
知らない人でさえ幸せにできるはず。
感謝と謙虚さを忘れない。
美しい世界に生きている事を忘れない。
そしてこの辛さを忘れない。逃げない。
目をそらさない。すべて受け入れる。


よーし、とりあえずまずすることは、

寝る事!

オヤスミ!


2012年10月29日月曜日

満月とチョコ

BGM


今日は満月ですね。
月のパワーが我々の60兆の細胞を振動させ共鳴させ血を沸騰させ興奮させ皆知らず知らずのうちに空を見上げたはずです。感じます。地球の生命達の鼓動の高鳴りを!
って言ってみたけど引いた?笑

ボクはといえば勉強でもう疲れた。
勉強したら頭痛くなるんだけどみんなも?
しかも頭使うからか疲れてるからか、やたらとチョコが食べたくなって今も麦チョコ食いながらブログ書いてる。そう、まるでなんとかのようにって書こうとしたけど思いつかないから書かないけど。
誰も言ってくれないから自分で言うけど、ボクがエライところは勉強しながら空いた時間で曲も作ってまして、昨日また新たに一曲できました。
誰も言わないから自分で言うけど、かなりいい感じです。
これでギターの曲がえーと、4曲になりました。
来年には形にして次のステップに行きたいです。

って事でぼくの話しはつまらないので、ネットで見つけたオモシロイ話しを、

学生の時、貧しかったのに大家が家賃払えとか言うの。
んで、待ってもらったんだけど、毎日嫌味をねちねち言われる。
こっちは飯も我慢してるのに。
だから、やっつけようと思って。
先輩に悪魔呼ぶ方法聞いたら、「さぁ。ナマニクとか供えて、合わせ鏡とかすんじゃね?」って言われた。
その日の夜すぐに合わせ鏡して、なけなしの金で買った生肉置いて体育座りして、ずぅっと見てた。
で、気が付いたら朝。
翌日大家に「あんた、昨日外から見てたけど、ずっと何してたの?」って詰問されたので、
やばいって思って、「あぁやると肉がいっぱい見えるんです」って言ったわけ。
そしたら、夜すき焼きおごってくれて、部屋のカーテンも買ってくれた。
なんか急に優しくなって、家賃も待ってくれた。
呪いとか魔術ってすごい。


ん?あんましって?じゃあこれは?

3人の兄弟が山登りに行って遭難した。
夜になって、「このまま死ぬのか?」と思ったとき、
1件の民家が見えた。
助かったと思い訪ねてみると その家には美人の娘と、
めちゃくちゃ怖そうな親父が住んでいた。
「よそ者は泊めない」という親父を、 「かわいそうだから」と娘が説得し、
物置小屋に一晩泊めてもらう事に。
しかし、その娘のあまりの美しさに目がくらんだ3兄弟は、
夜中にトイレに起きてきた娘に襲いかかった。
しかしすぐに親父に取り押さえられ、
「お前等、全員殺す!!」と日本刀を抜かれた。
だが3兄弟は土下座して必死に謝った。
父親は、「ここは山奥で食料も少ない。
山から食料を持ってきたら、
山のふもとへ抜ける裏道を教えてやろう」と、条件を出した。
3人はすぐに小屋の近辺を探した。
はじめに戻ってきたのは次男だった。
次男は、山ブドウを持ってきた。
それを見た父親は、「それをケツの穴にいれて見ろ」と言った。
次男は言われるまま、1粒のブドウを自分のケツの穴に入れた。
そして次男は裏道を教えてもらい、無事山を降りた。
次に、三男が大きく実った栗を沢山抱えて戻ってきた。
父親は同じようにケツの穴に入れることを命じた。
三男は必死に頑張って、栗をケツの穴に入れ始めた。
もう少しで入るという所で、三男は何故か笑ってしまい、
栗はケツの穴からいきおい良く飛び出した。
三男は、そのまま父親に殺された。
三男は見てしまったのだ。
嬉しそうに、スイカを抱えてこちらに走ってくる長男の姿を・・・


これはちょっとクスッとしたんじゃない?
じゃあちょっと和むやつ

ある男がペンギンを拾った。
どうしたものか、困った男は友人に電話して相談した。
「なあ、ペンギンを拾ったんだけど、どうしたらいいだろう?」
「そんなの動物園にでも連れて行けばいい だろ」
翌日、男の友人は男がペンギンを連れて歩いているのを見かけた。
「動物園に連れて行かなかったのかい?」
すると男が答えた。
「ああ行ったよ。だから今日は遊園地に連れて行ってやろうかと思ってさ」


もうこれ最後

じいちゃんが犬を捨てに行ったら、犬が先に帰ってきた

はーいオヤスミー。
ありがとう満月にチョコ

2012年10月21日日曜日

ヤマン!

みなさまおはよう!
めずらしく朝からブログ!
ヤマン!



この前のボブマーリーの映画はやはり刺激的だった〜

久しぶりにボブマーリーに打たれました。
この気持ちこれからも忘れないす。


そして昨日はオーストラリアから彼女と帰って来た梨木さんとヒロミツやけんちゃんマドちゃんとうちで飲みました。

いや〜、いい時間。
それぞれの時間の流れ、今までそしてこれからの事。
目指すとこは違っても向かってるとこは一緒ってやつですね。
そしてみんなが帰ってめずらしくヒロミツ君がうちにお泊まりして、今一緒にうちのマルゲリータ食べながらブログ書いてるってやつです。
夕方からはまた梨木さんとかと定山渓温泉でも行く予定です。もしもたまたまこれ見て一緒に行きたいって人がいたら連絡して下さいね。ヤマン



今日の朝のさわやかさに感謝。
今日の一日に感謝。
すべての人達に幸あれ!

2012年10月19日金曜日

死ぬために生まれたのか、生きるために死ぬのか…

この前ユリちゃんが教えてくれた事件があります。

まずはこの曲でも聴きながら読んでみて下さい。



伏見・介護殺人




【事件概要】

 2006年2月1日未明、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職K(当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった。


K


【父の言葉】

 京都市中京区の職人の住む一画で生まれたKの父は西陣織の糊置き職人をしていた。口よりも先に手が出るような厳しい人物であったようだが、Kは父親を尊敬していた。Kは高校卒業後、父の弟子となった。しかし呉服産業の不況により、35歳の時に職人をやめてホテルの警備員や電気製品の製造工、システムキッチンの組み立てなどに仕事を変えた。結婚はしていない。

 父親は1995年に80歳で亡くなり、この頃から母親に認知症の症状があらわれはじめる。事件から11年前のことである。

 2001年頃、母子は伏見区のアパートに引っ越した。親類の好意で、家賃6万円のところを半額にしてもらった4畳半と6畳間の部屋だった。

 母親の認知症は2005年4月頃から症状が悪化し、おにぎりの包み紙を食べたり、「キツネがいる」と言って天井を叩いたりした。真夜中に外出しようとしたり、Kが仕事に行っているあいだに徘徊して警察に保護されたりしたことも2度あった。昼夜逆転の生活になっているため、母親は真夜中の15分おきに起き出し、Kも疲れ始めていた。
 そんなことがあってか、夏ごろには介護保険を申請し、アパートの近くの施設でデイケアサービスを受け始めたが、昼夜逆転の生活は戻らなかった。Kは献身に介護し、7月頃には仕事を休職している。

 9月頃、工場勤めをしながらの介護に限界を感じたKは仕事を辞め、自宅で介護しながらできる仕事を探したが見つからなかった。12月には失業保険の給付もストップしている。区役所にもすでに3度相談していたKだったが、良いアドバイスは得られなかった。「生活が持ち直せるしばらくの間だけでも生活保護を受給できないか」と相談したこともあったが、「あなたはまだ働けるから」と断られている。(事件後、Kは唯一この社会福祉事務所の担当者にだけは恨み事を述べた)

 同じ頃、カードローンの借入も25万の限度額になった。生活費に窮するようになったKは、自分の食事を2日に1回にし、母親の食事を優先した。

 こういった苦しい状態になると、人は普通親類なり友人なりに頼るものである。しかしKはそうはしなかった。Kの心にはいつまでも父親が生前言っていた言葉が去来していたからだ。

「人に金を借りに行くくらいやったら、自分の生活をきりつめたらいいのや」

「他人に迷惑をかけたらあかん」

「返せるあてのない金は借りたらあかん」


【母子の悲しい旅】

 2006年1月31日、この日までに払わなくてはならないアパートの家賃3万円はどこにもなかった。手持ちの現金はわずか7000円ほど。Kは親族に相談することもなく、自分たちに残された道は「死ぬこと」しかないと思った。

 Kは自宅アパートをきれいに掃除をして、親族と大家宛ての遺書と印鑑をテーブルに置いた。その間、Kは何度も母親に「明日で終わりなんやで」と話しかけている。
 最後の食事はコンビニで買ってきたパンとジュース。電気のブレーカを落とすと、Kはリュックサックに死ぬためのロープ、出刃包丁、折りたたみナイフを詰めて、車いすの母と2人アパートを出た。

 2人が向かったのは、三条の繁華街だった。Kがどこに行きたいかと尋ねて、母親が「人の多い賑やかなところがいいなあ」と答えたからだった。1人300円の運賃を払って淀駅から京阪電車に乗り、三条京阪駅に着いた。

 駅を出ると鴨川が流れている。2人はしばらくこの川のそばで時間をつぶしている。やがてにぎやかな新京極通りをに向かった。この通りの入口にそば屋がある。Kがまだ子どもの頃、親子3人で食事をしたことのある店だった。しかし手持ちの金が多くないため、食事はしなかった。


【冷たい雨】
 
 夜、母子は伏見にいた。もう戻ることのできないアパートの近く、桂川の河川敷。次にどこへ行きたいかと聞かれて、母親が「家の近くがええな」と言ったからである。午後10時のことだった。
 
 2月1日。厳しい冷え込み。Kは車椅子の母に防寒具をかけてやった。それから何時間か過ぎた。

「もうお金もない。もう生きられへんのやで。これで終わりやで」
 
 Kは泣きながら目を覚ましたばかりの母に語りかけた。母親は「すまんな」「ごめんよ」と泣きじゃくる息子の頭を撫で、「泣かなくていい」と言った。

「そうか、もうアカンか、K。一緒やで。お前と一緒やで」 

「こっち来い。こっち来い」

 母に呼ばれたKが近づいたところ、額がぶつかった。

「Kはわしの子や。わしの子やで。(お前が死ねないのなら)わしがやったる」

 その母の言葉にKは「自分がやらなければ・・・・」と思った。
 そして意を決し、車いすのうしろにまわってタオルで母親の首を絞めた。絞め続けた後、苦しませたくないために首をナイフで切った。

 Kは遺体に毛布をかけた後、包丁と折りたたみナイフで自分の首、腕、腹を切りつけ、近くにあったクスノキの枝にロープをかけ首を吊ろうとしたが失敗した。「土に帰りたい」と走り書きしたノートの入ったリュックサックを抱いて、冷たい雨の降るなか虚ろな表情で佇んでいた。

 通行人によって2人が発見されるのは午前8時ごろのことである。


【裁判】

 4月19日、京都地裁の初公判が開かれる。
 また公判では地域の住民、関係者ら126人分の嘆願書が提出された。

 5月15日の第2回公判では、弁護側ではなく検察側の方が証人として出廷した親類やケアマネージャーに「被告が将来社会復帰した時に見守っていく用意があるか」と質問した。

 6月21日の公判では、「同じ様な事件が後を絶たないのはなぜか」という裁判官の問いに、Kは、
「今日、明日を生きるために立ち上がる機会と、考える時間、そしてお金を与えて下さい」
 と訴えた。

 そして7月21日、東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」として、Kに懲役2年6月、執行猶予3年を言い渡した。


 初公判で「生まれ変わるのなら、また母の子として生まれたい」と述べたKの言葉。

ぼくの姿が見えないと名前を呼ぶのです。呼んではこちらへ寄ってくるのです。
12月の後半ぐらいから夜のトイレに起きるときに先に起きて、ぼくの横になっている寝間のところに来てはここへ入ると言い出すのです。仕方がありませんので、おふくろと一緒に抱きあって寝ました。そういう状態がつづきました。
ぼくが台所で食事の用意をしていると、母は私を呼び、赤ん坊のようにハイハイをし、私のところに寄って来るのです。それがかわいくてかわいくてなりませんでした。そして抱きあげると、にこっと喜ぶのです。抱いてやると、強く抱き返してくれるのです。
(Kの陳述)


母が子供に戻って行くのです。
私は母を「見守る」ただそれだけのことしか出来なかった。
私の手は何の為の手で、母を殺めるための手であったのか、みじめでかなしすぎる。
じっと我が両の手を見る。何の為の手であるのかと。
(最終陳述にて)




どうですか。
涙無しにはとても読めないですね。
悲しすぎる。

これは今のボクの価値観で、これから変化するかもしれないし、人によってはコイツ何言ってるんだと思うかもしれないけど、ボクはすべての殺人や自殺を悪いものだとは思っていないです。
ボクは最近北野武監督の作品をたくさん借りて観てたんですが、その中の「HANA-BI」の終わりの最後の銃声はきっと、ビートたけしが奥さんを撃って自分も撃った音だと思うんです。
ボクの大好きな太田光の「マボロシの鳥」という小説の中の「奇跡の雪」というお話の中でも少女2人と少年は死にました。
この事件のようにどれも悲しいですが、だけどその映画や本を見たらそれで良かったんじゃないかと思ってしまいます。
日本には昔から切腹という価値観もあるし、神風特攻隊はよくて、テロリストはダメって言うのもおかしな話しです。

生きる上で死は絶対だし、産まれた瞬間から死に向かってると言ってもいいぐらいです。だから生きる喜びも生まれるんだけど、ボクにとっては死も生きる事の一部であり、生きる事と同じぐらい素晴らしい事だとも思っています。

唄、絵、本、写真やアート、色んな芸術家がいますが、死んでから、または自殺してからそれが世界に広まったり、認められたりする事はよくあります。
それはそういう芸術が作品自体だけでなく、書いた人や作った人の人生が作品に重みというか魂を吹き込む事があるからだと思います。
それはある意味違う形で生きてるという事だと思うし、死が終わりでなく始まりにもなる事があるという事だと思います。

こういう事件は悲しいです。
でも悲しい中にも美しさがあり、愛があります。

ニュースで流れる悲しい事件や理解できないような事件。
あまりに多くてボク達は、あぁ最近の世の中は怖いな、とかまた頭のおかしな奴が現れたな、とかと何も考えずにそう思ってしまっているのかも。実はそこには色々な物語があり、少しでも理解できればもしかしたら悪い人なんていないのかも。

なんか長くなったのでもうやめるけど、最後に「ロバと王様と私」というアニメの唄を聴いてお別れ。


歌詞


ロバと王様と私
明日はみんな死んでいる
ロバは飢えて 
王様は鬱屈で
私は恋で

ロバと王様と私
明日はみんな死んでいる
ロバは飢えて
王様は鬱屈で
私は恋で

は五月
生はさくらんぼ
死は種
恋はさくらの木



いい詩ですね。
さくらの木が「生」でないのに感動。
「恋」があって「生」や「死」がある。

生まれてから死ぬまでの間に愛が生まれるのではなくて、愛の周りに人の人生があるって事ですか?うーん深い。


今日も中山秀一郎なんとか生き延びました。
明日はボブマーリーの映画最終日なので仕事終わりに1人で観に行こうと思ってます。

ワンラブとは何か感じてくるぜ!


最後まで読んでくれてありがとう。
お休みなさい。


2012年10月17日水曜日

ブログ書いてないで勉強すれ

BGM



仕事を終えても仕事で必要な資格のため勉強しなきゃいけない。いったい日本人はどれだけ働くんだ。
中学高校と勉強してこなかったオレは勉強にとてもじゃないけど集中できない。その結果今ブログを書いてしまっている。
早いとこ科学か人間が進歩して勉強しなくてもいいようになんないかなぁ、、、
食ってくって大変。早く自由になりたい。ガンバロ

アナタは白と黒どちらが好きですか?
じゃあ犬と猫どちらが好きですか?

どちらを選ぶのも自由です。

人は知らず知らずのうちに不自由を自由と勘違いしてしまうね、オレは白より黒よりベージュとかグレーのほうが好きだし、犬より猫よりチーターが好きだ。
この中から好きな物を自由に選んでって言われてもそれは「この中」の時点で自由じゃないんじゃないか?

自由だけじゃなく、人は自分で選んでいるようで人に選ばされているというのは昔も今もあまり変わらない。
プロパガンダやサブリミナルやこの世界のピラミッド型のシステムも、安定と言う言葉や常識さえも結局は本物の自由を隠す不自由さだと思う。
でも悲しい事に不自由さのほうが楽だから人はそっちを選んでしまうのかな。そして与えられた自由を選ぶんだ。

でも世界中の人が自由になってもうまくいかないだろうね。
70億人もいるんだ。愛がないとバランスがとれないからね。

ボクは宇宙を信頼してる。
宇宙はボク達を生んだし時間も空間も生んだ。
だからどんな事があってもどんな今でもそれは絶対良い方向に向かってると信じている。
自由になるには不自由という経験が必要で、愛を知るには孤独という経験が必要なんだ。

自由を勉強するより不自由を経験したほうが自由になれるんだきっと。
しかし資格の勉強するより不合格の経験をしたほうが合格に近づくとはならないので、やっぱり勉強しよう、、、
そこらへんが宇宙のイジワルなところだ。

ちょっと文句言いに宇宙行ってきます。



めちゃめちゃきれい、、、

宇宙ありがとう、、、

2012年10月14日日曜日

中川翔子も来ていたサケのふるさと館

BGM





アウトレイジな蛙

ナメック星のお友達と登山

山ガールと亮ちん

塩谷丸山に感謝

今年はあと何回か登りたいです。
この前は千歳のサケのふるさと館も行って来たけど、サケってほんとにスゴイ。カッコイイ〜
木曜日の北海道新聞の写真に感動した。

河口近くで波に揺られながら、
淡水に体を慣らすシロザケの群れ。


イルカもイイですね。1:17秒のとこからイイですね。


昨日は別荘でみんなで鍋して泊まりました。
みんな最高ですね。幸せです。

2012年10月13日土曜日

JOKEMICアルバムと登山


ついに大順とSHABELL君のJOKEMICがアルバムを出したという事で、ホントめでたいですね。
ボクもさっそくCDゲットして聴きました。
2人ともスゲーす。カッコイイす。
なんかレベルがどんどん上がってますね。
ここで試聴や詳しい事知れます。
http://www.eat-records.jp/fs/eatrecords/1600001218502?utm_source=facebook&utm_medium=FacebookProduct&utm_campaign=FacebookLike
ボクもココでCDをゲットしましたが、岩見沢のツタヤにも置いてるそうです。
う〜ん、ライブで聴くのが楽しみですね〜。

それとSHABELL君サオリさん、お子さん誕生おめでとうございます。
人が人を産むってスゴイ事ですよね。
ホントに女性はスゴイ。
ボクはこどもを産めないけど、唄や写真を生み出せるので、
きっとスゴイ。
最近はギター一本での曲を作ってまして、少しずつ曲も増えて来ました。
この前は車にギターを積んでいて、夜に札幌にいたボクは、よしどこかで唄って帰ろうと思い、狸小路はまだ早いべということで、大通り公園のベンチに腰掛けて噴水の前で唄った。
さっそくできたての曲たちを唄った。
人々の反応は、素通り…である。
まぁそんなことは気にせず気持ちよくなって気づけば1時間も唄っていた。
ボクは寒くなったし帰った。
最近はギターや唄も浮かんでくるし、今は曲を作ろう。


この前友達と登山に行ってきた。
頂上からは海や港町や羊蹄山が見えたし、ラーメンとおにぎりもとても美味かったです。

携帯で撮影してPCで編集したけど綺麗だ。











今日もすべてに感謝。
おやすみなさい。